「ねぇ、アニー。やっぱりかえろうよ、ぼくさぁ……」
前を歩くアニーの服の裾を掴んで言ったのは、ぼく。
「……トール」
アニーは、ぼくの方を振り返ると、おでこに手を当てて溜息をひとつ吐いた。
「だから、出てくる前に『ちゃんとトイレに行ったの?』って聞いたでしょう? ま、いいわ。あんたは男の子なんだから、その辺でして来ちゃいなさい。待っててあげるから」
「そうだぞぉ」
アニーの隣で、得意げに言ったのは、グッチ。
「おれなんかなぁ、うん○もいしょにしてきたんだぞ」
あ〜あ……なに言ってるのさぁ。
「レディーの前で、なんて汚い言葉を口にすんのよ!」
アニーは、そういうとグッチのことをゲシゲシとけっとばしたり、ポカポカと殴ったりし始めた。
言ったグッチのほうが悪いけど、それでもアニー、レディーなら普通はそんなことしないんじゃないかなぁ……?
しばらくぼくは、そんなことを思いながら二人を見ていたけれど、自分が言おうとしていたことを思い出して、あわてて二人の間に入った。
「そうじゃなくって! ……こわいんだよ。それに、きっとお父さんやお母さんも心配するよ。帰りがおそくなったら」
アニーはグッチを殴る手を止めて、また溜息を吐いた。さっきと同じポーズで。
そして、ぼくの両肩に手を置いて言った。
「たまにはね、親を心配させてやるのも子供のつとめってもんなのよ、わかる?」
そんな無茶苦茶な!!
「でも……!!」
「な……なによぉ」
アニーは、ぼくの声にびっくりしたみたいだった。ふっくれっつらでぼくを見ている。じっとこっちを見ている目が、怖い。
でも、負けるもんかっ。今日こそは、アニーに言ってやるんだ。
「いつまでも、ぼくがいうとおりにしてると思ったら大間違いなんだぞ!」って。ああ、それなのに……。
「ぼく……ぅ」
「なんなのよぉ」
アニーが不敵な笑顔でぼくを見つめる。
あぅ。どうしよう。
そのとき何かがぼくの足に触った。見ると、アニーに踏み潰されてるグッチがぼくを見上げていた。
「負けるな、負けたらだめだ!」
ぼくに向かって、グッチの目がそういっている。
(そうだ、今ここで引き下がったら、ぼくたちに自由はないんだ。ありがとう、グッチ!)
ぼくは心の中でそう言うと、アニーと向かい合った。
「ぼくと!」
「とぉ?」
「ぼく──の、うちは、まだマリーが生まれたばっかりで……ぇ」
「で……な、に?」
ごめん、グッチ。
いつもみたいに、そこまでがぼくの限界だった。あの、アニーの半眼に睨まれたら、やっぱり逆らえないよ。
「で、だから。もう、さっさと行きましょう、もたもたしないで」
あぁ〜、ぼくって。
「それでこそリーダー、将来の騎士様。私のお婿さん候補ナンバーワンよ!」
でも、アニーはとても満足したみたいで、うんうんと嬉しそうに頷くと、ぼくの手をとって歩き出した。
「騎士にはなりたいけど、アニーのお婿さんにはなりたくない」
怖すぎて、絶対にアニーの前ではいえない言葉を、ぼくは溜息に変えて大きく息を吐き出した。
ぼくの名前はトール・ハーマン。北の大陸にあるオリア王国の首都、リーダイルに住んでいる。リール小学校の三年生。八歳。
ぼくのお父さんはお城で働いてる騎士、のはずなんだけど、いっつも家でゴロゴロしてばっかりで、ちっともかっこよくない。
だから、ぼくは大きくなったら、もっともっと偉い騎士になるんだ。それで、お父さんのことをいっぱいこき使ってやるんだ。
嫌いなものは、暗いところと、お化け。
アニー・シルフィアは、学校のクラスメイト。シルフィア商店という大きなお店の子だ。ぼくの家も、日用雑貨はシルフィア商店に買いに行く。
しっかり者で、頼りにはなるんだけど、ぼくのことを出来の悪い弟みたいに見るのはやめてほしい。
大きくなったら、強くてかっこいい男の人のお嫁さんになるんだって言ってる。でも、なんで今のところのお婿さん候補の1番がぼくなんだろう?
グッチ・アーバンもクラスメイトだけど、保育所にいたころからずっと一緒だから、アニーよりも付き合いが長い。
食いしん坊の力持ちで、大きくなったら冒険者になって、みんなから『勇者様』と呼ばれるのが夢なんだって。
冒険、っていう言葉にとことん弱いグッチ。この間なんて、授業中に本を読んでいたときに『ぼうけん』っていう字が出てきたら、突然立ち上がって、
「これだぁー! これぞ男のロマンってやつだ〜!!」
と叫んで、その日の授業を冒険ごっこにすり替えていた。
すぐになんにでもなりきっちゃうこの性格は、いいのか悪いのか、よくわからない。
こんな三人で、冒険に出てきたわけで、そうするとリーダーはとうぜん冒険者を目指しているグッチが一番いいと思うんだけど、なんでかリーダーはぼく。でも本当のリーダーは、もちろんアニー。
言いだしっぺがアニーだし、ぼくたち二人がアニーに逆らうなんてこと、出来るわけがないから……。