市場街中央公園の悲劇

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 私はアニー・シルフィア、9歳。オリアの首都リーダイルでも結構有名なお店、シルフィア商店の看板娘……って言ってもまあ、お店を手伝ったことっていうのは、ほとんど無いんだけど。
 近くのリール小学校に通っている、今は3年生。
「アニー、今日は日直だって言っていたでしょう、こんなにゆっくりしていていいの?」
 ママが鏡越しに私を見ながらそういった。けどね、ママ。私の髪を結ってるママの手が一番ゆっくりしてるってこと分かってる?
 だけど私は立派なレディー、そんな細かいことは気にしないわ。それに、今日はなんて言ったって……
「うん。でもね、今日はトールが迎えに来てくれるの。一緒に日直なんだ」
 そう、私の大好きなトールと一緒に日直が出来るのよ。うちのクラスは男の子のほうが人数が少ないから、日直をするときに相手がだんだんずれていく、だからトールとは2ヶ月に1回は一緒に日直が出来る。それで、その日はわざわざトールが私のうちまで迎えに来てくれるの! ああ、なんて幸せ者の私なのかしら……。
「あら、トール君なら先に行ってもらったわよ?」
「へえ、そうなの」
 ママが余りにもさりげなく言ったから、私は暫くそれがどう意味かわからなかった。
「……え?」
 少し後、なんとなくその意味が分かった気がする。
「ママ、今なんて言った?」
「あら、トール君なら先に行ってもらったわよ。って言ったんだけど?」
 トールが先に行った? って事は、トールはもうここに迎えに来たってこと?
「ええぇぇぇぇっっ!?」
 今はっきりと、ママの言葉の意味が分かった。クルっと後ろを振り返る。
「あらやだ、急に振り返らないでよ。せっかくもう少しで結い終わるところだったのに」
 ママが少し不満気な声を上げたけど、そんなの知ったこっちゃ無い。
「いつ! いつトールが迎えに来たの!?」
「あなたが湯浴みしてるとき」
「何で教えてくれなかったのよぉ!?」
「あなたが湯浴みしてたから」
「…………」
 私は鏡台に突っ伏した。
「あら、どうしたの。具合が悪くなった?」
 ええ、本当に頭が痛くなってくるわよ。
「……ねえ、ママ」
「なあに?」
「だったら何で、私が出てきた時にすぐに教えてくれなかったの」
「……いわなかった?」
 暫くじーっと考え込んでから首を傾げたママ。何でそんなにトロイのよ!?
「ああ〜、もう、いいわよ!」
 私は適当に髪の毛を結いなおして、椅子から立ち上がった。
「そっちも取っちゃうの? せっかく綺麗に編み込みしてたのに」
「ごめんね、また明日やってね」
 適当に言葉をかけると、残念そうな顔をしているママを尻目に、私はカバンを背負って部屋を飛び出した。
「おや、アニー。学校に行くのかい?」
 玄関のすぐ横にあるリビングから呑気な声がした、パパの声だ。
「だって、トールは先に行っちゃったんでしょ?」
「ああ。だってパパがトール君に行ってくれと言ったからな」
「もーぅ、パパの馬鹿! 何ですぐに私のこと呼んでくれなかったのよぉ」
「だってなあ──」
「じゃあ、行ってきまーす!!」
 パパが何か言おうとしてたみたいだけれど、それを聞く前に私は玄関から飛び出した。だってこれ以上のんびりしてたら大変な事態に陥っちゃうもの。
 学校までは徒歩8分、でも今日は4分でその道を駆け抜けた。早く、早く学校まで行かなくちゃ……!
 校門を走り抜け、玄関を潜り抜け、教室の前でいったん止まって深呼吸をする。そしてガラリと扉を開けた。
「あ、あれ。アニー!?」
 声が聞こえた。そう、この声よ。この声を聞かなきゃやっぱり1日が始まったとは思えないのよねぇ。
「ごめんねトールぅ、遅くなっちゃって」
「う、ううん。別にいいんだけどさ」
 なんて優しいのトールってば、もう。と、せっかく人が感傷に浸っているときに、耳障りな声が聞こえた。
「無理しなくていいのよ、アニー。わたしがトールと一緒に日直をしてあげるから」
「なに言ってんのよ、私よ」
「ちょっと待って、あたしのほうが先に来たじゃない」
「なに言ってるのよ、私が一番早かったのよ!」
 総勢4人の女どもがギャーギャーと騒いでる。……やっぱり来てたか。だからトールと一緒に来て、この女どもを近づけないようにしときたかったのにぃ!!
 この子達はクラスメイト、そしてトールのファンクラブとかいうものを勝手に作っちゃってる、にっくきライバルたち。
「……みんなが手伝ってくれたから」
 トールが困ったような笑顔で言った。そっか、本当は私と2人っきりで朝の時間を過ごしたかったのね。なんて可愛いのっ!?
 ほぉーほっほっ! 悪いわねみんな、トールはもう私のものなのよ。そうとも知らずにあんなに醜い争いをしちゃって、まーあ、カワイソウ!
 彼、トール・ハーマンは、私より半年ちょっと──正確には6ヶ月と17日──年下だから、今はまだ8歳。
 髪の毛はこげ茶色が一般的だけど、トールは明るく透けるような栗色の髪の毛をしている。その辺からして普通の男とはちょっと違うのよねぇ。
 とぉ〜っても可愛くって、決める時にはばっちりと男を見せてくれる、うちのクラスのアイドル!
 このクラスは女子が12人いるけど、私も含めれば5人の女の子が今のところトールにアタックしている。ま、今この場にいる5人ってことね。
 でも本当はアタックなんて必要ないこと、みんなには無駄なことだし、私はしなくてもいい。だって……トールは将来、私のお婿さんになるんだもの。
「でも、アニー。大丈夫なの?」
 トールがなんだか心配そうな顔で私を見ている。いけない、ひとりでにやけてたら怪しい人間に見られちゃうじゃないの。
「やーだぁ、トール心配しないで。ぜんっぜん平気よ」
 私は腰に手を当てて言った。んだけど、トールはますます心配そうな顔でこっちを見てる。ちょっと、わざとらしかったかしら?
「汗、ダクダクだよ?」
「ええ? そんなことない──」
 そこまで言ってから気が付いた。ああ〜!? 思いっきり走ってきたから汗かいちゃったんだわ! なによぉ〜、せっかく綺麗にしてきたのに。これじゃあレディーとしての身だしなみがぁ……。
 ヘタヘタと膝から力が抜けた。朝、起きてからの苦労がどっと押し寄せてくる。
「アニー、無理しない方がいいよ。保健室に行こう?」
 トールが腰を下ろして私の顔を覗き込んできた。こんなに私のことを思ってくれてるなんて……嬉しいんだか悲しいんだか、なんだか複雑な気分。
「ううん、平気よ。このくらい……」
 ええ、そうよ。こんな事くらいでめげてちゃダメ。私にはトールと一緒に日直をやり遂げるという使命があるんだもの。
「でも」
「平気だったら!」
「保健室ならトイレも隣だし」
「平気なの!」
 私は立ち上がった。フン、何よトイレが汗臭か──
「トイレぇ!?」
 思わず叫んでしまった。
「え……ち、ちがうの?」
 トールのうわずった声が聞こえる。なんだかさっきより声の距離が遠いように思えるんだけど。それに、トールも含めて5人の姿が少し小さくも見えるんだけど、気のせいかしら?
「なんなの、それ?」
 間の距離を詰めるべく前に向かって歩き出したけれど、その距離が何でか縮まらない。そのうち私は左斜めを見るようになって、壁にたどり着いたところで左に90度、体の向きが変わった。トール達5人は向かいの壁に集まっている……もしかして、逃げられてる?
「あの……お腹、壊してるって」
「はあ?」
 言ったのはライバルその1のベッキー。ちょっと、何でどさくさに紛れてトールにしがみついてるのよ!
「何で私がお腹を壊さなきゃなんないのよ!」
「ああっ、トール! なんだかピンピンしてるわ!!」
 ベッキーの反対側にしがみついて叫んだのは、ライバルその2のルーシー……だから、何であんたまでトールに引っ付くの!!
 今までの疲れが、だんだんと怒りに変わってくるのを私は自分で感じていた。
「そりゃそうよね、鋼鉄の胃袋が壊れるなんて」
「──っ!! 何てこと言ってんのよ!」
 同じくその3キャシーと、その4コニーの発言。私が睨むと二人は「きゃー!!」と廊下の外まで逃げていった。あぁ〜、なんかホントに腹立つわね、あの態度。
 視線を、逃げた2人からトール達3人のほうへ戻すと……2人は一生懸命、掃除用具を入れるためのロッカーの中に隠れて、トールはそのロッカーの上によじ登っていた。