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「…………」
私は黙ったまま、そこまで歩いていく。
「あ、ああ〜、あのね……だってそう聞いたんだよっ」
トールは両手を前に何でか差し出してそう言った。別にそのせいじゃないけど、私はそこで立ち止まる。
うろたえた顔も、トールは可愛いわねぇ。
「聞いたって、何を?」
トールの顔を見るだけで、声を聞くだけで今までの気分がすっと治まっちゃうなんて、私って単純な人間なのかしら……。そんなことを思いながら、私はトールに聞いた。
「アニーは、今日は学校を休むかも、なんせ朝から20分もトイレに入って出てこないから。って」
なによ、それ?
「誰がそんなこと言ったの?」
聞かなくても分かるけど。多分そんなことを言ったのは、あの時何かを言おうとしていた、あの
「おじさん」
でしょうね、当然。
一体何をどう間違えれば、バスルームとトイレが一緒になるのよ? いっぺんパパの頭をかち割って、中をのぞいてやりたいわ。
しばらくのあいだ教室の中は、シン、と静まり返っていた。その時、
「おっはよー!」
ガラリッ! と勢いよく教室の後ろの扉が開いた、声もやたらと明るい。毎朝毎朝、何でそんなに無駄に元気があるのかしら?
「リディア〜!!」
トールのあからさまに嬉しそうな声が聞こえた。ちょっと引っかかるわねえ、トール。
「……何やってんの?」
「見れば分かるでしょ」
あきれ返ったその声に、私は憮然とした顔で返事をした。
「分からないから聞いてるんだけど」
そういって、彼女──リディアはほっぺたをポリッとかいた。
「…………」
「まあ、何をしようとアニーの勝手だけど。みんなが教室に入りたがってるから放課後にしてよね、騒ぐのは」
私の睨みに何の反応も見せずにリディアはさらりと言ってのけ、掃除用入れの上にいるトールのほうに歩いていった。私の前を平然と通り過ぎる……くやしい〜!!
「トール、お弁当。忘れていったでしょ?」
「え、本当? ぼく、カバンに入れなかったかな」
「だって、テーブルの上にあったんだから。これ、あなたのでしょ?」
しかも、私の前で2人にしか分からない会話を……。許せない、私のトールなのにぃ!!
「アニー、どうしたの?」
思わず私が地団太を踏んでいると、トールがそう聞いてきた。
「ばっかねえ、妬いてるに決まってるじゃない。昨日、あたしが、あなたの家に泊まったから。そうでしょう、アニー?」
ええ、そうですよ。思いっきり妬いてますよ。そのうえ今日はトールと一緒に学校に来られなかったですよ。何か文句でもある?
それをまあ、そんなにも嬉しそうな声でわざわざ傷口をえぐるようなことを言わなくったっていいじゃないのよ。その性格の悪さ、うちのお姉ちゃん並みだわよ。
リディア・ハーマンはうちのクラスの最年長──って言っても私よりたったの5ヶ月年上なだけだけど──で学級委員長。
私はこの、年の順番で委員やら係やらを決めるという先生のやり方には疑問を抱いている。それだから、こんな性悪女が委員長なんかになっちゃうのよ。絶対にトールのほうがいいのに、彼は一番年下だから何の委員も係もやってない。ちなみに私は体育係。
ま、それはさておき。ハーマンという名前でも分かるように、このリディアは、なんとトールの従姉。いとこだけあって2人は良く似てる、顔立ちはもちろんリディアもトールと同じような栗色の髪の毛だったりする。でも性格だけは、ぜ〜んぜっん似てない。少しくらいはトールの優しさを見習えばいいのに。
「あ、そうだ!」
突然叫んだのは、と〜っても優しいトール。
「1限目の教材取りに行かなきゃ。リディア、ちょっと手伝ってよ」
「なんで? あたしは日直じゃないわよ」
「いいから来てよ!」
2人はそのまま教室から出て行った。でも、日直って──
「わたし」
2人が教室を出て行ったのと同時に、外にいたらしいみんなが入ってきた。シンとしていた教室の中がザワザワと賑やかになってくる。
「ねーねー。やっぱりあの2人って、本当にデキてるのかしら?」
「えぇ? だっていとこ同士じゃない、そんなことあるわけないわよ」
話しこんでいるのはベッキーとルーシー。そうよ、そんな事があるわけないじゃないの、トールは私の旦那様よ。
「でも、昨日は同じ屋根の下で一晩を過ごしたんでしょ? 何かあったかもしれないじゃない」
「ないわよ。昨日はちゃんとおじ様だっておば様だって、それにリディアの弟と妹だっていたんでしょ?」
私は思わず口をはさんでしまった。
「それも、そうよね……」
疑っていたベッキーも思わず納得してる。さっすが私、素晴らしい演説だわ。
「ねえ、でもちょっと待って」
そう言ったのはルーシー。
「それって、家族ぐるみのお付き合いって事よね」
「だって、いとこだもの当然でしょ? あんたがそう言ったんじゃない」
なに言ってるのよルーシーってば。
だけどルーシーは、私の言葉に構わずに更に真剣な顔をしている。
「うん、そうなんだけど……もしかしたら、親の公認の仲だって事も考えられない? だって別に、いとこだから結婚しちゃいけないっていう法律があるわけじゃないんだし」
ガッビ〜ン……。
すさまじい衝撃が体中を駆け巡る、私もベッキーも固まってしまった。
「そ……そそ、そんなこと、あるわけないじゃないのよ、ねえ?」
「そ、そうよ。ルーシーってば、ばかなこと、いわないでよ、わらっちゃうわ。あ、は……はは、は」
ベッキーの乾いた笑い声がさびしい。しばらく私たちの周りの空気は冷え切っていた。
「それは、ありえないわ」
そう言ってやって来たのは、キャシーとコニーの2人だった。
「ありえないって、どういうこと?」
聞いたのはルーシー。私とベッキーはまだ固まっていて、口を開く力なんてない。
「昨日、見たのよ私たち。ね?」
「……うん」
口を開く力はなくっても、言葉は勝手に耳から入ってくるし、周りの様子は勝手に目がとらえてしまう。そして私はとてもいやな感じ襲われた。キャシーとコニーの暗い声、暗い顔は尋常じゃない。ルーシーだめよ、聞かないで。お願い。
「見たって、何を?」
私の願いもむなしくルーシーは聞いてしまった。ああ、誰か私の耳を塞いで、お願い。
けれど、その願いも届くことはなく、私は衝撃の言葉を耳にした。
「トールの彼女。だと思う、あれは──ね?」
「……うん。すごく、仲も良さそうだったし」
ドンッ!
ルーシーが床にひっくり返った。
「うそ……うそよぉ! そんなの信じないわぁぁっ!!」
そしてベッキーはカバンを持って教室から飛び出した。
私はただ呆然としながら、ありきたりの言葉を口にする。
「どんな子だった?」
「遠くからだったから良くわからないけど……とっても綺麗な感じの子。ね?」
「そう、お人形みたいな感じ」
コニーは、コクリと頷いてそのまま言葉を続けた。
「髪の毛なんてんね、本当にそう。お人形の髪みたいな色だった」
「お人形の髪?」
そう言われて、私はもっているお人形のことを思い出そうとした。お人形の髪……どんな色かしら?
「なんて言うのかしら……私たちみたいにこんなに濃い茶色じゃなくて、でもトールみたいな栗色っていう感じでもなくて、もっと薄いっていうか、淡い色で」
キャシーが考えながら言葉を紡ぐ、そして私の頭の中にはある影が浮かんだ。
沈みかけの夕日のせいで逆光になってしまって、その顔を見ることは出来ないけど、普通の人ではありえないような綺麗な──
「亜麻色の髪?」
「そう、それ。亜麻色!」
キャシーが大きく頷いた。それじゃあ、
「それを見たのって、もしかして市場街の中央公園?」
「そうよ! アニーも見たの?」
見た……夢で。
私はあの夢のことを必死になって思い出す。確か年は18で、長い綺麗な亜麻色の髪の女がトールと仲良く腕組んで、それで左手の薬指……。
「ええぇぇっっっ!?」
あれって夢じゃなかったの!?
そうすると、その彼女とかいうやつが、トールの将来のお嫁さん!?
「……うそぉ」
トールのお嫁さんは私なのに。
「信じないわ……信じないものぉ!!」
叫んだのはルーシー。そうよ、信じてたまるもんですか!
「私、帰る」
そう言って私は3人に背を向けた。
「日直は?」
コニーの声が私を呼び止める。
「あんたたちがやっていいわよ」
トールとの日直は惜しいけど、でもそれどころの気分じゃない。きっちりとその女との決着をつけて、次回のトールとの日直をより有意義にやり遂げるためにも今は行くしかないのよ!
「待っててね、トール」
そして私は学校を後にした。