市場街中央公園の悲劇

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3

 一方その頃、資料室──。
 
「どういうつもり?」
 トールはふくれっ面でリディアを見下ろしていた。
「何が……よっ!」
 よっ、の掛け声とともにリディアが大きな台に上がった。途端にトールの視線は上に向く。
「で、何がどういうつもりなの?」
 リディアがきょとんとトールを見下ろしながら尋ねた。トールの頬はますます膨れる。
 ちなみに、二人は同じ台の上に立っている。リディア147センチ、トール116センチ。リディアが年齢の割に大柄すぎるのか、トールが小柄すぎるのか、それはどちらともいえないが、クラスで一番背の高い人間と低い人間であることに変わりはないわけで、その身長差はかなり大きい。頭ひとつ分どころではない。
「なーにが、『何がどういうつもりなの?』だよ。とぼけちゃってさ」
 トールはぶつくさ言いながら、棚の世界地図を取ろうと背伸びをした……が、届かない。
「こういうことにあたしを使いたかったわけね。で、何をそんなに怒ってるの?」
 トールの代わりにリディアはその世界地図を取ってやり、そしてまた尋ねる。
「アニーのことだよ。とぼけたって無駄だからね、ちゃんと分かってるんだから。わざと怒らせてるんでしょ?」
「あ〜。トールってば、アニーのこと心配しちゃって。いっちょまえに彼女のナイトを気取ってるわけ?」
「ば……変なこといわないでよ!!」
 トールは顔色を変えて叫んだ。赤く──ではなく蒼く変えて。
「もう〜。おっかないこと言わないでよ! ほら、そんなこと言うから、鳥肌が立っちゃったじゃないか」
「何もそこまでおびえる事もないのに……ちょっと、アニーが可哀想な気がするわね」
 トールがムキになって突き出したその無数に鳥肌の立った腕を見ながら、リディアは呟いた。
「そんなに可哀想に思うんなら、アニーのことからかうのやめてよ。アニーを怒らせた被害は全部こっちに回ってくるんだよ。それに──」
「トール」
 まだ何かを言おうとしていたトールの言葉を遮って、リディアは冷たい視線でトールのことを見下ろした。
「な、なに?」
「勘違いしないでね。あたしが可哀想って言ったのは、好きな相手にそこまで言われて立場のないアニーに対してなだけ。別に、あたしがからかってるアニーには、これっぽっちも可哀想なんて思っちゃいないのよ」
「……それって、ものすごく酷くない?」
 たった今し方の自分の言動も忘れ、トールはアニーに同情した……ほんの少し。
「いいの。あたしは怒ってるんだから、当然の報復措置よ」
 リディアの言葉に、トールは眉をしかめてしばし沈黙した。
「歩伏装置?」
 トールの時々見せるこの類のボケは天然である。
「とにかく、あたしは怒ってるからアニーに仕返しをしてるわけ。分かる?」
 そして、何事もなかったようにリディアが聞き流せるのは、トールとの付き合いの長さゆえである。
 
 ……なんだか話がそれた。元に戻す。
 
「う、うん。でもさ、アニーって何かリディアを怒らせるようなことしたの?」
 トールは首を傾げながらリディアを見上げた。リディアはなぜか難しそうな顔をして、トールを見つめる。
「あのね、トール。あたしはアニーだけを怒ってるんじゃないのよ」
「え、ほかにも怒ってる人がいるの?」
「いるの。誰だと思う?」
 難しそうな表情はそのままにリディアは言った。
 そう言われて、トールは近頃のリディアの行動を思い返してみる。先週からだろうか、アニーのことを執拗にからかい始めたのは。他に、リディアがやけに絡んでいる人間といえば……。
「あ。グッチだ。そうでしょ?」
 トールの親友であるグッチも、リディアの標的にされている。「宿題を教えてあげる」といって、2、3日前のノートを見せたり、「今日のお弁当はとってもおいしいの、取り替えっこしてあげる」といって、グッチの唯一嫌いなニンジンたっぷりのお弁当をあげたり……それは、アニーよりもひどいかもしれない。
「そうね、グッチもその1人」
 満足そうに頷きながらも、リディアの表情は変わらない。
「まだいるの?」
「いるのよー。あと1人ねぇ」
 トールの問いに、リディアの顔は少しばかり不機嫌なものに変化した。
「1人?」
 誰だろう? と、トールは真剣に悩んでいる。眉間に深い皺を刻みながら唸っている。そんなトールを見ながら、リディアも眉根に皺を寄せていた。
 沈黙……。
 その間、約1分。それが、トールにとってどの程度の長さに感じられたのかは分からないが、リディアにとっては──いや、きっと他の人にとってもそうだろう──長かったらしい。彼女は沈黙を破り、ボソリと陰気に呟いた。
「あなたのそのニブさって、一体誰譲りなのかしらね」
「ニブいって……ぼくが? どうして?」
 トールが心外そうな口調でそう言い、そしてまた、リディアの顔はいっそう陰気なものになる。
「自分で自覚してないところが、またすごいわよね」
「どういう意味、それって?」
「まぁ、いいわよ」
「ちっとも良くないよ!」
 トールの訴えを軽く聞き流し、リディアは1人で話をすすめる。
「いい? トール、よ〜く考えてみて。アニーとグッチにはね、ある共通点があるのよ。なんだと思う?」
 その途端にトールの顔は膨れっ面から真剣に悩んだものへと変わった。単純な少年である。いや、純粋といってやるべきか。
「共通点、か。2人とも、家がお店やってるね」
「でも、職種がぜんぜん違うわよ」
「そっかあ」
 ちなみに、グッチの家は鍛冶屋である。
「1人の人間よ」
「1人の人間……?」
 リディアのヒントに、トールは二人がいつも学校で一緒にいる人物を考えてみた。
 グッチがいつも学校でつるんでいるのは、トール。
「──あれ?」
 アニーが学校で付きまとっているのも、トール。
「……ぼく?」
「ピンポーン、大正解!」
 リディアは本当に嬉しそうに頷いた。
「やぁ〜と、分かったのね」
「なにが?」
 トールもリディアにつられながら笑顔で聞き返した。
「…………」
「リディア、どうしたの?」
 トールが不思議そうに、表情を凍らせたリディアを見あげる。リディアはその頭の上に手を乗せると、まるで鞠でもつくかのようにポンポンと叩いた。
「な、なにすんの? やめてよ!」
 そう言いながら、トールは身をよじって逆らおうとした。
 しかし、そんなトールの抵抗は、はっきり言って無意味なこと。身体の分だけ、力の差はあるのだから。
「とぉるぅ〜……あたしが何の話をしてたか分かってるの、あんた?」
 リディア、今度はトールの髪の毛をグチャグチャとかき混ぜ始めた。トールは諦めたのか、されるがままになっている。
「え、アニーとグッチの共通点について。でしょ?」
「その前よ!」
 トールの両頬を思い切り左右に引っ張りながら、リディアは怒鳴った。
「しょにょやえ?」
 目に涙をためながら、トールは必死に考える。これ以上リディアに不機嫌な思いをさせることは出来ない。なぜならそれは、自分の身の安全が保障できなくなることなのだ。
 トールは、そこでやっと思い出した。そう、リディアは怒っている。アニーとグッチと、あと一人。
「ええぇぇぇっっ!」
 トールは自分でも驚くほどの大声で叫んだ。
「な、なに? 急に大声出さないでよ」
 リディアは壁に立てかけてあった世界地図を思わず抱きしめている。
「なんで、どうして? ぼくリディアを怒らせるようなことなんてしてないでしょ!」
 まるで喰い付く様な形相で、トールはリディアに詰め寄った。
「ストーップ!」
「ぶっ!?」
 リディアの差し出した右手がうまい具合にトールの顔面に蓋をした。
「あなたが怒っても仕方ないのよ、あたしがあなた達のことを怒ってるんだから」
「だから、何でぼくがリディアに怒られなくちゃいけないのさ?」
「分からないの?」
「分からないから聞いてるんでしょ」
 赤くなった鼻っ面をさすりながら憮然とした表情で、トール。
「いいわ、じゃあ教えてあげる。先週のことよ」
「先週……泊まりに来たとき?」
 リディアは毎週1回、弟と妹と一緒にトールの家に泊まりに来る。が、それに何の意味があるのかは良く分からない。リディアの両親はちゃんと家にいるのだから。
 まあ、トールとしては大人数で食卓を囲む機会がなかなか無いから嬉しいことだが。
 大抵、トールは母親と2人でご飯を食べている。父親は、いるけれどソファーで熟睡していることが大半。「食べるから起こしてくれ」と言うのだが、疲れているのを無理に起こすことはしたくない。妹もいるけれど、生まれたばかりなので食卓を囲むことはもちろん無理。しかも妹が泣くのなら、母親はそちらにかかりっきりで、トールは1人でご飯を食べることになる。結構、さびしいのだ。
 だから3人が来てくれる事は嬉しい。しかも騒々しい事この上ないので父親ものんびりと寝てはいられず、子供たちの遊び相手をする羽目になる。父親には迷惑だろうが、トールは家族が倍に増えるようなこの日が楽しみでたまらない。
 そこまで思いながら、そのために両親がリディア達を泊まりに来させているのだということには気づいていないトール……にぶい。
「そう。その時にね、あたしは伯父さんに聞いたのよ」
 腕組みしながら、リディアは言う。とてつもなく重大な真実を握っているとでも言いたそうな、思わせぶりな口調で。
「おとうさんに……なにを?」
 トールは恐る恐る、窺うように小声で尋ねた。
 リディアに知られて困るようなトール達の秘密など、父親は知らないはずだ。もちろん、そんなものなど無いが……無いはずだが。
 しかし、リディアは待ってましたと言わんばかりに大きく頷くと、すっと目を細めてトールを見下ろした。
「あなた達、黙って街を抜け出して遊びにいったんですって?」
「へっ? あ、それは行ったけど、べつに遊びに行ったってわけじゃぁ──」
 トールはモゴモゴと口ごもる。
「問答無用!」
 ダン! と地図を杖のように床に突き立てて、リディアは高らかと言い放った。
「ご、ごめんなさい! あれは、本当に反省してるんだよ。町の規則を破っちゃったんだから、みんなに怒られて当然だって思ってるし」
 実際、母親にはこっぴどく怒られた。
 そして「まあ、いいじゃねーか」などと軽く取り繕おうとした父親まで、雷を落とされる始末だった。
「ちっが〜う! そんなことを言ってるんじゃないのよ!!」
 リディアは慌てふためいて弁明をするトールの言葉を遮って叫ぶ。
「えぇっ? じゃあ、なんなのさ!」
 リディアの真意が分からないトールの声は、悲鳴に近い。
「だから、何であたしを誘わなかったのかって事よ!」
 シン、と水を打ったように静まり返った資料室の外では、ドタバタと走り回っている生徒達の足音が聞こえる。
「……え?」
「自分たちだけで楽しい思いをして。あたしが、そういうのが好きだってことくらい知ってるでしょ?」
「え? ああ、うん」
「それをさ、誘ってくれないだけじゃなく1週間たっても教えてくれないってどういう事よ。もしかして、まだあたしに黙って同じことしてるんじゃないでしょうね?」
「し、してない。何にもしてない!」
 ブンブンと音が出るくらいに勢いよくトールは首を横に振る。
「ふーん。じゃあ、今度何かするときには、絶対あたしにも教えてよね」
 ブンブンと今度は縦に。
「なら、許してあげてもいいわ」
「ほんと? あぁ、よかったぁ」
 これでしばらくの間は、平穏無事な日々を過ごしていける。これが、トールの偽らざる本心だった。
 カラーン、コローン……と鐘が鳴る。
「あ、予鈴だ。リディアごめんね、ありがとう地図取ってくれて」
 そう言ってニコニコと可愛い笑みを浮かべながら、トールはリディアから地図を受け取った。
 自分の背丈ほどある地図を抱えながら部屋を出て行くトールの後姿を見つめながら、リディアはほんの少しのあいだ考え込んだ。そしてポツリと呟く。
「もう少しだけ、アニーに嫌がらせしちゃおっかな」
「どうしたの、リディア? 早く行こうよ」
 一緒に出てこないリディアを振り返ってトールが言う。無邪気な笑顔だ、クラスのアイドルと言われる理由も分かる。
「でも、なーんにも分かってないのよね。本人は」
 溜息混じりにリディアはそうぼやくと、トールのとことろまで追いつき、そして地図を代わりに運んで行ってやる事にした。