市場街中央公園の悲劇

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4

その夜。
「はぁぁぁ……」
 私はただ、溜息を吐き出すことしか出来なかった。
 学校を出てから1日中、中央公園で見張っていたんだけど、亜麻色の髪の女どころかトールも公園に来ることはなかった。
 そりゃまあ、そんなにすぐに現場を押さえられるなんて思ってはいないけど、学校帰りのトールの姿も見かけなかったっていうのが寂しくてたまらない。
「あっ」
 ってことはもしかして、今日は別の場所で会ってたとか?
「はぁぁぁ……」
 なんてこと、この私が裏をかかれるなんて。アニー・シルフィア一生の不覚じゃないの。
「いいえ」
 でも、信じないわ。そんな、トールが私以外の女になびくなんて。
「はぁぁぁ……」
 なのに、やっぱりショックは隠せないのよね。私ってばカワイソウ。
「おい、アニー」
 そう言ったのは、私の隣の席に座っていたお兄ちゃん。
「ん、なに。マーク兄ちゃん?」
 何よ、人が物思いにふけってるときに邪魔するなんて、デリカシーがないわよ。
「夕飯食ってる時に、その辛気臭いため息と、気持ち悪い百面相はやめろ。飯がまずくなるだろが」
 何ですって? 気持ち悪い? 私が?
「…………」
「何だ、その目は?」
「お兄ちゃんには、恋する乙女心がわかんないのよ。私のことはほっといて」
 まったくもう、失礼しちゃうわ。
「お前には俺の言った言葉の意味が分からねえのか? 物思いにふけるなら、別の場所に行けってことだ」
 私にどこかに行けですって? 今は夕ご飯を食べてるのに。
「…………」
「だから、何なんだよその目は?」
「お兄ちゃんにはレディーに対する思いやりすらないの? そんなことだから、いっつも彼女に逃げられるのよ」
 マーク兄ちゃんは今年で20歳。お姉ちゃんみたいに恋人イナイ歴22年──もうじき23年──と言う記録は持っていないけど、遊び人過ぎて困る。こんな人に、純情可憐で、なおかつ繊細な私の心なんて理解できるはずないのよね。
「失敬な、俺はちゃんと真面目に付き合ってるぞ」
 心外だ、とブツクサ言っているお兄ちゃんの向かい側で、もう1人のお兄ちゃん、マックス兄ちゃんがさり気無く尋ねる。
「何人と?」
「5人」
 …………。
「女の敵ねぇ」
「うん」
 まったく。
「姉貴! マックス! 今は、この鬱陶しいアニーの話をしてるんだ。俺のことなんて関係ねーんだよ!」
 マーク兄ちゃんは、テーブルを叩くとそう叫んだ。でもちょっと待ってよ。なによ、その鬱陶しいって言うのは。
「何で私が鬱陶しいの? こんなに可愛い妹じゃないのよ」
「どうしてお前って、そういうことを平気な顔をして言えるんだ?」
「何よ、私は事実を述べただけよ」
 そうよ。私は自分で言うのもなんだけど、結構可愛い顔をしてると思う。トールと並んで歩けば、正しく美男美女のお似合いカップルなのよ。それなのに、どうしてトールは……。
「はぁ」
 私はまたまた溜め息を吐いた。ああ、もうこれで何度目になるのかしら。
「アニー、てめぇ」
「いいじゃないのよ、マーク。アニーは今、とても傷ついているのよ。そっとしておいてあげましょう」
 マーク兄ちゃんが何か言おうとしていたところを、お姉ちゃんがそっと止めた。一体どうしたの? 今朝のあの怒り具合から考えると、1週間は絶対に許されないだろうと思ってたのに。
 私が顔を上げると、お姉ちゃんは優しく微笑んだ。それはまるで天使の笑顔。
「なんだよ、その傷ついてるっつーのは」
 憮然とした顔でマーク兄ちゃん。その声にお姉ちゃんは笑顔を歪めた。待ってましたといわんばかりにニンマリと。それはまるで、
「アニーはねぇ、失恋したのよ」
 悪魔め。
「失恋──ってーと、トールにか?」
「ち、違うもん。失恋なんてしてないもん」
 そうよ、そんなんじゃないもの。私がトールに失恋なんてするはずないもの。それなのにお姉ちゃんは、嬉しそうに言葉を続けた。
「トールにね、彼女が出来たのよ」
「違うってば」
 お姉ちゃんってば、やっぱり朝のことをかなり根に持ってるのね。
「ひょ〜。あのおチビさん、なかなかやるじゃねーか」
「違うの!」
「で、どんな娘なんだ?」
「ちょっと遠かったから良くは分からないんだけど。トールよりも小さくってね、ショートカットにした亜麻色の髪の子」
 2人とも絶対に面白がってる、なんて人たちなのよ。でも、何でお姉ちゃんが亜麻色の髪の女のことを知ってるの?
「お姉ちゃん、何で知ってるの?」
「トールの彼女のこと?」
「彼女じゃないわよ、そんな女」
「あら、絶対そうよ。今日の夕方、仲良く一緒に買い物してたもの。あの雰囲気は間違いなくデートよ、デート」
 お姉ちゃんは自信たっぷりに、まるで我がことのように言ってのけた。買い物をずっとしてたんなら、そりゃ公園で見張ってても見かけないはずだわ。デート……デートかぁ、そういえば私って、トールと2人っきりでどこかに出かけたことってないのよね。
「…………」
 あれ、どうしたのかしら? 目が痛い。頭もぼうっとしてきちゃった。
「おい、アニー?」
 マーク兄ちゃんの少し慌てたような声がした。顔をあげて声のするほうを見たけど、視界がかすんでいて良く見えない。その時ほっぺたを、何かがつうっと伝った。
「なに泣いてんだよ?」
「ない、な……か、な、もん」
 泣いてなんか、ないもん。そう言いたかったのに上手く言えなかった。私は勝手にあふれてくる涙を必死になって拭った。
「あ、まあ。そうよね、あれよ。トールって普通の子よりぜんぜん小さい子だし、そのトールより小さい子なんて言ったら、3つか4つくらいの子だものね。きっと近所の子供か何かだったんだわ」
 お姉ちゃんが、やけに明るい声で言った。もしかして、私に気を使ってくれてるのかしら。でも
「トールの家の近所に、そんな子、住んでない」
 しばらく、沈黙がそこに広がった。
「……言われてみると、普通はいねえよな。亜麻色の髪の人間なんて」
 ボソリとマーク兄ちゃんが漏らした。確かにそうよね、髪の毛の色は世界中どこだって、こげ茶色が一般的なんだもの。トールの栗色の髪の毛だってすごく珍しい部類に入る。トールのお父様みたいな黄金色には染めてる人が多いけど。あとは、赤とか青とか緑とか色々。
 でも亜麻色なんて、お人形みたいにすごく綺麗だとは思うけど、普通は出来ない。
「どこに住んでる子なのかしら?」
「『黄金のカエル亭』じゃないの」
 お姉ちゃんの疑問にはすぐに答えがあった。声の主はマックス兄ちゃん。
「あんた、いたの?」
 お姉ちゃんが驚くのも分かる。私だって、もう部屋に戻ってるんだと思ってた。
「うん」
 口元をナプキンで拭いながら、マックス兄ちゃんは静かに頷く。
 マックス兄ちゃんはまだ14歳のくせに、お姉ちゃんやマーク兄ちゃんとは比べ物にならないくらいに落ち着いていて、ものすごくクール。って言うか、なんか妙に年寄りくさい感じがする。おまけに存在感も少ない。
 一体誰に似たのかしら? 顔はマーク兄ちゃんと良く似ていて、派手なのに。
「で、何でお前がそんなこと知ってるんだ?」
 マーク兄ちゃんが身を乗り出してマックス兄ちゃんを問い詰める。マックス兄ちゃんは身じろぎひとつせずに
「見たから」
と言った。
「見たって、いつ、どこで?」
「この前、夕飯を食べに行ったときに、お店で」
 お姉ちゃんからの質問に対する答えは、いたって簡単にして明瞭。
「でも、私はお店でそんな子、見かけなかったよ」
 そんな子がいたら、一目で分かる。
「正しく言えば、この前、夕飯を食べに行った帰りにお前が変な紙切れを拾って兄さんと姉さんともめてた時、奥の入り口を掃除している姿を見た」
 なるほどね、それじゃあ見かけるはずないか。
「掃除をしてるってことは、お店の関係者なの?」
「そんなガキんちょが? 奥っつったら冒険者の店だろ?」
 マーク兄ちゃんが顔をしかめてそういった。
 マーク兄ちゃんは、典型的な今時の若者ってやつで、冒険みたいな勇気と根性が必要な職には決して向かない軟弱男。なもんだから、冒険なんて言葉を聞くだけでうんざりした顔になる。
 でも別に、その子が冒険者なんてやってることはないと思うけどね。例えば、
「お店のマスターの子供なんだってさ」
 そう……え?
「何で、あんたがそんなこと知ってるの?」
「聞いたから」
 何でも、私たちが騒いでる姿をその子がじっと見ていたらしい。マックス兄ちゃんは1人で退屈していたからその子に話しかけに行って、しばらくの間くだらない話しをしていたんだって。
「じゃあ、お兄ちゃんは間近でその子の顔を見たの?」
「ああ」
「どんな感じだった?」
「人間離れしてる感じ。碧い目をしてて、すごく可愛かった」
 ……人間離れしてる? なにそれ?
「人間じゃなかったりして」
「あんたって、馬鹿?」
 お姉ちゃんてば鋭いツッコミ。マーク兄ちゃんは思い切り顔を膨らませた。
「うん」
 何秒かの後、マックス兄ちゃんが頷く。
「マックス。お前、お兄様に向かって何だそりゃ?」
「人間じゃないんだってさ」
「はあ?」
「ヴァルシュなんだってさ」
 マックス兄ちゃんの「うん」は、お姉ちゃんじゃなくてお兄ちゃんに対しての返事だったわけね。恐ろしいくらいのマイペースぶりだわ。
 亜人間《ヴァール・メンシュ》って言うのは、簡単に言っちゃえば、私たち人間とはぜんぜん違う人たちのこと。特徴は、種族によって別々だけど共通してるのは青系統の瞳。
「亜麻色の髪のヴァルシュか……いいなあ。将来は絶ってぇ良い女になるよな」
 マーク兄ちゃんが遠くを見つめながらニヤニヤ笑顔で呟いた。別にヴァルシュが好きなわけじゃなくて、綺麗な女の子が好きなだけなんだけどね。
 そう、ヴァルシュには美男美女が多いらしい。なんでも神様たちが彼らを特別可愛がっていて、えこひいきしているとか。じゃあ、神様は私たち人間を可愛がってくれてないって事になるのかどうかは、良く分からない。だって、私は神様じゃないんだもの。
「まあ、何にしても良かったじゃないの。ヴァルシュと人間じゃ一緒に生きていくのは難しいから、あんたにだってまだチャンスは残ってるわけでしょ」
 お姉ちゃんが私に向かってそういった。
「チャンスなんかじゃないわよ、お姉ちゃん。トールのお嫁さんは私に決まってるんだもの」
「可愛くないわよ、あんた。せっかく人が慰めてあげたっていうのに」
「へへーん、だ」
 そうは言ったけど、実は内心ほっとしていた。お姉ちゃんの言うとおりだ。どういういきさつでトールがその子と知り合ったのかは知らないけど、人間とヴァルシュは寿命の長さがかなり違う。長いにしろ、短いにしろね。だから、トールが17歳になった時に、その子が同じ位に成長してる可能性はかなり少ない。
「ただいまー」
「ああ、おいしかったわー」
 あ、パパとママが帰ってきた。2人は今日も『黄金のカエル亭』に夕ご飯を食べに行っていた。週に1度は何だかんだと理由をつけて食べに行ってるのよね。ずるいわよ、私たちは月に1度行かれれば良いほうなのに。
 ま、今日は私が行かないって言っちゃったんだけどね……行けばよかったな、そのヴァルシュがどんな子だったか見てやりたかった。
「おかえりー」
「はい、ただいま」
 私たちの迎えの言葉に、パパはお姉ちゃんの隣の席に腰掛けながら返事をした。さっきまでその席に座っていたマックス兄ちゃんはいなくなっていた。いつ部屋に戻ったのかしら?
「アニーも一緒にご飯を食べに行けばよかったなあ」
 私の顔を見るなりパパがそう言った。
「え、なんで?」
「トール君も、お父さんと食べに来てたんだよ。声はかけなかったけれどね」
「ええ〜っ!?」
 なんなのよ今日は、やることなすこと全部裏目に出てるじゃない。もう、やだぁ。
「ご挨拶しようとも思ったんだけれどね、他の方たちと楽しそうにしてらしたから。それに、テラスのほうで召し上がってたし」
 お茶の用意をしながらママが言う。
「なぁに、他の方って。リディアたちじゃないの?」
 あ、なーんかいやな予感。聞かなきゃ良かったかも。
「リディアちゃん達の所なら、お父さんたちも混ぜてもらったんだけどな。遠くから来た親戚の方なのかな。この辺では見かけない人たちだったから」
「でも、面白かったわよねえ。みんな髪の毛の色が派手なのよ」
「そうそう。金だ緑だ亜麻色だと色々で、人目を引いていたよ」
 あ、ま……はぁ、もういいわよ。人生こんな日だってあるのよね。
「あら、アニー。お茶は飲まないの?」
「うん。もう疲れたから、寝る」
 私はフラフラと、部屋に戻ってベッドの中にもぐり込んだ。
 明日はきっと、いいことがあるわよね……。