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「あ〜、どっこいしょっと」
おじさんが年寄りくさい声を上げて、近くのソファーに腰を下ろした。
そしてトールを手招きで呼ぶと、自分の膝の上に向かい合わせになるようにして座らせた。
「あ。いいな」
そう呟いたのはアニーだ。
「ん、アニーちゃんもして欲しいのか?」
「う、ううん。違う、いいの」
アニーは顔を赤くして首を振った。おれは何となくアニーの気持ちが分かる気がした。ごく自然に、あんなふうにお父さんと触れ合えるトールがうらやましかったんだと思う。今じゃ照れくささも手伝って、おれは父ちゃんに触ることだってしてない。きっとアニーも同じなんだろう。
「さて、と。じゃあ、どういう事かちゃんと説明してもらおうか、トール?」
おじさんはトールの顔をのぞきこむようにしてそう言った。
「……ごめんなさい」
「あのな。「ごめんなさい」じゃ何にもわかんないだろ、どうしてここにいるのかを教えてくれって言ってるんだ」
「あの、ね。ぼく、あのあと図書館に本を返しに行って、それでグッチたちに会って、それからジェシカに会って、それで話をして、墓地の探検するって聞いて、面白そうだからぼくたちも一緒に行かせてって……」
「お前が言ったのか?」
「あの、おとうさんと約束してたのは、ちゃんと分かってたんだけどね、ぼく……」
「暗い所とお化けを嫌いなトールが、夜になってから墓地の探検をするって言ったのか?」
「あ、の……その……」
そのまま黙りこくってしまったトールから目を離して、おじさんはおれたちのほうを見回してきた。
おれたちは、あわてて視線をそらしてしまった。トールは何にも悪くないって分かってたんだけど、トールに責任を押し付けるわけじゃないんだけど、急に見られると、やっぱり逃げ出したくなるのが心情だ。
「ふむ。なるほど」
おじさんは納得したような声で頷くと、もう一度トールと顔を合わせた。
「それで、お母さんには何にも言ってないのか?」
「う、うん。言ってない」
「なんで?」
「だって、絶対ダメだって怒られると思ったし」
「これから帰って、怒られないと思うか?」
「……怒られる」
「だろうな。じゃあ、なんて言って怒られると思う?」
「こんな時間まで、何してたの? って」
「どれだけ心配したと思ってるのって、言われるだろうな?」
「うん」
おじさんはそこで、またおれたちのことを見回した。
「まだ八時じゃない。そんなに心配なんてしてないわよ」
リディアがそっけない口調で言った。
「本当にそう思うのか?」
「だって、パパだってまだ帰って来る時間じゃないもの。帰って来るのなんて、十時も過ぎてからよ」
「それじゃあお前は、晩飯の時間が過ぎてもギルバートやローラが帰ってこなかったらどう思うんだ? 心配じゃないのか?」
「そ、それは……」
ギルバートとローラって言うのは、リディアの弟と妹の名前だ。確か六歳と三歳だったかな。痛い所をつかれたって感じで、リディアは答えに詰まった。
「心配するだろ?」
「あ、あたしはあの子たちみたいに子供じゃないもの。一緒にしないでよ」
反撃の糸口を見つけたように、リディアは意気込んでおじさんに反論する。
「なーにを偉そうに言ってやがる。同じだよ、大人だ子供だっていうのは関係ない。だったらセリーヌが──お前のお母さんが戻ってこなかったらどうなんだ? 平気なのか、お前は?」
けど一蹴。さすがのリディアも、やっぱり大人には口でもかなわないんだな。そのままふてくさったようにそっぽを向いた。
「そこで呆けてる二人も同じだぞ。どれだけ家族の人が心配してるのかも分からないようじゃ、冒険者を気取るなんて程遠いことだぞ」
おれとアニーも、厳しくおじさんに言われてしまった。
「怒られるから、危ないことをしちゃいけないって言うんじゃない。何で怒られるのか、それが分からなきゃいけないんだよ。もしものことがあった時にどれだけ悲しい思いをする人がいるのかってこと、もしものことがあったらって不安に思う人がいるってこと、きちんとそれを分からなきゃ。それを分かった上で、きちんとした行動を取らなきゃ」
トールがおじさんに言われた『責任が取れるようになるまで』って言うのは、そういうことか。
「おじさんの言いたいこと、分かるか?」
おれとアニーは頷いた。トールはきちんと分かってたんだな。時間が遅くなるとお母さんが心配するってことも、もし何かあったらじゃ遅いってことも。
「おじ様ごめんなさい。トールを無理やり連れて行ったのは私なの。トールは行くのはやだって言ったんだけど……」
しょんぼりと言ったアニーにつられて、おれも頭を下げた。そんなおれたちを見て、おじさんはとっても優しい顔で頷いてくれた。
「ま、今後の課題は、みんなを説得してまとめ上げていくだけのリーダーシップを身につける事だってのが分かっただけでも収穫だ。な、トール?」
そして、ぼんやりしてるトールの鼻をつまんだ。トールは嫌がって逃げようとするけど、おじさんは面白がって離さない。すっかりおもちゃにされてるなぁ。
しばらくの間、おじさんはトールに「お仕置きだ」とか言って、くすぐったりなんなりと遊んでいた。トールの笑い声で、何となくおれたちの気分も少し和む。
でも、一人だけそれを冷たい目で見ていた。ジェシカだ。
おれがなんとなく気になってジェシカのほうに目をやると、ジェシカは表情もないままじっとトールの事を見ていた。今ジェシカに触ったらすぐにでも凍っちまいそうな、それくらいに冷たい感じがした。
おれが見ているのに気が付いて、ジェシカはさりげなく背中を向ける。それを見て、おれは雑木林の中を歩いてる時に聞いたジェシカの言葉を思い出した。
『ちょっと嫉妬もしてるけど』
ジェシカは確かにそう言った。トールに嫉妬してるって。でも、何でなんだろう?
「あなた、またくだらない事で頭を悩ませてるわけ?」
おれが突然降ってわいた疑問に首を傾げていると、リディアが呆れた顔でそう言った。
「くだ……下らないって、なんだよその言い方は?」
おれは真剣に悩んでるんだぞ、まったく失礼な奴だな。
「だって、どうせ怒られたときにどうやって切り抜けようとか、今日の晩ご飯の確保の仕方とか、そんなこと考えてたんでしょ?」
自分がそうやって考えてただけだろ、と思いっきり言ってやりたいけど言えるはずもないから、おれはあいまいな顔でリディアに笑い返した。
「うだうだ考えたって仕方ないさ。なるようにしかならないんだから、怒られたほうが楽だぞ。と言うわけで、皆さんはお利口に、ここで迎えを待ってるように。おじさんは、そこのお姫様を城まで連れて行かなきゃならないからな」
トールを床に下ろして、おじさんは先生よろしくそんなことを言った。その時、
「わたしは帰らないから。ここにいる、ここで暮らす」
背中を向けたままジェシカが大きな声で言った。断固として城には戻らないらしい。
ジェシカがどういうつもりなのか知らないけど、おじさんも、さっきのおっさんたちみたいに困った顔でどうにか説得しなきゃいけないんだろうな……と、おれは思った。けど、それは大間違いだった。
「あっそ。それなら、そう伝えとこう。誰も迎えに来る必要はないってな。それじゃあ、みんなは部屋の移動だ。今からここはお姫様の家だからな、邪魔しちゃいけない」
おじさんは別に困った感じでもなく、そう言っておれたちの帰り支度を急がせた。
「おとうさん、いいの?」
「うん? ああ、いいのいいの。ここで暮らすって言ってるんだから、ほっとけば」
「でも」
「あ、大司教様の所に行って挨拶はしておかないといけないかな」
心配そうなトールをよそに、おじさんはなんだか楽しそうに張り切ってる感じだ。そしておじさんが扉を開けたとき、ジェシカが泣きそうな顔でおれたちのほうを振り返った。
「あ……」
おれたちと目が合って、あわてて背中を向けたジェシカ。
「そんな顔をするんなら、最初っから意地なんて張らなけりゃいいだろ?」
おじさんは呆れた声で話しかける。あ、そうか。わざとおじさんはあんなことを言ったのか。
「帰るぞ。みんな心配してるんだから、ちゃんと顔見せて安心させてやれ」
さっきのおっさんとは違って、おじさんはジェシカに対してもおれたちと同じような態度だ。でも、いいのか? ジェシカってお姫様だろ? おじさんは城勤めなのに。