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「みんなが……」
小さな、聞き取れないくらいに小さな声で、ジェシカが何かを言った。
「なんか言ったか? 聞いて欲しいなら、もっとでっかく、はっきり言えよ」
もうちょっと、言い方ってもんがあるような気がするんだけど……。おじさんのあまりの態度に、さすがのアニーやリディアも心配そうな顔をしてる。
「みんなが、わたしのことを心配してるのは、わたしが「お姫様」だからだもの。もしわたしが、侍女とか、ただの下働きだったら、誰も心配なんてしないじゃない」
今度は、はっきりと聞き取れる声がした。でも、その声は少し震えてるように聞こえた。
「みんなして、姫様、姫様って、わたしは……わたしなのに」
そうか。さっき、おっさんたちが迎えに来てから様子が変だったのはそのせいだったんだ。おっさんたちは、ずっとジェシカの事を姫、姫と呼んでた。ジェシカは、お姫様の自分がいやだったのに。
そんなジェシカの様子を見て、おじさんは小さくため息を吐くと、ソファーで膝を抱えているジェシカの前にしゃがみこんだ。
「しょうがないだろ? 王家の者にもしもの事があったら、それこそ国を揺るがす大事件にもなりかねないんだ。誰だって慌てるに決まってる。もっと自分の立場ってものを理解してないでどうする」
おじさんなら、ジェシカの事をもっと優しく慰めるのかと思ってたけど、聞こえてきたのはそんな冷たい言葉だった。
「好きでなったわけじゃないもの! おじ様が勝手に王様になっただけだもの! わたしのせいじゃない!」
両手で耳をふさいで、ジェシカは首を振った。なんだか、見てるこっちも辛くなって来る。アニーなんかもうすぐ涙がこぼれ出しそうだ。
「ほほぉ……そういう態度に出るか。説教は城に戻ってからたっぷりしてやろうと思ったが、気が変わった」
ところがどっこい、おじさんは半眼になってそんなジェシカを見ながらそう呟いた。
「いいか? 好きだろうが、嫌いだろうが、お前はこの国の王族の人間なんだよ。それはどうやったって変えられない。けど、その中でどう生きていくかは心掛け一つでどうにだってなるもんだ。それなのに、何にもしないで「わたしのせいじゃない」? よく言うな、お前のせいだろうが」
「デュークに何が分かるのよ!!」
突然ジェシカが叫んだ。
「なにが」
「おじ様だってそうよ。いつも仕事、仕事って部屋に閉じこもりっぱなしで。デュークだって、おじ様に頼まれてるからわたしの面倒を見てるだけでしょ? わたしなんかより、トールのほうがずっと可愛いに決まってるじゃない! そんな、お情けで構ってもらったって……余計みじめになるだけじゃない」
そう言ってまた俯いてしまったジェシカの帽子を取ると、おじさんはその帽子のツバでジェシカの頭を叩いた。
「何するのよ!?」
ジェシカが涙目で大声を出した。そりゃあ、あれは痛いぞ。けど、おじさんはそんなこと知ったこっちゃねえってな感じで、それには取り合わないで、ジェシカの鼻先に指を突きつけた。そして一言。
「バカかお前は!?」
あのおっさんが、今この場にいたら、おじさんはタダじゃすまないだろうなぁ。などとおれは場違いな感想を持ってしまった。
「本気でそんなことを思ってるって言うんだったら、どっか遠くの国に放り出すぞ!」
この国のお姫様に向かって放り出すって、おじさん、ものすごいこと言ってるよなぁ。
トールも信じられないような顔でおじさんを見ている。そうだよな、おじさんって怒っても、さっきみたいに優しく諭すようにしてくれるだけだと思ってた。きっと、トールだってあんなふうに怒られたことはないんだろう。
怒られてるジェシカ本人も、びっくりした顔でおじさんのことを見てる。
「ったく。もうちょっと素直になれないのか?」
そう言っておじさんが拾い上げたのは、例の木の実がぎっしり詰まった袋だった。
「あ……」
「ほら、持っていくんだろ?」
それをぶっきらぼうにジェシカに押し付けた様子は、さっきのトールに見せたのと同じ位に優しく見えた。
「なあ、ジェシカ。だったらお前は、何でここまでしたんだ? この行動がどれだけの騒ぎを引き起こすかぐらい、お前は承知してたはずだ。それでもここまでする覚悟を決めさせた物はなんだ? ──お前にここまで想わせる相手が、お前のことを想ってないって、本当にそう言えるのか? 本気でそう思えるのか?」
ジェシカはその言葉に答える代わりに、袋を思いっきり抱きしめた。
「もっと、信じていいから。みんながみんな、お前のことをお姫様だからって特別扱いしてるわけじゃない。ちゃんと、ジェシカ・ルートガルドっていう一人の人間として、大事に想ってるんだから」
その一言で、今までジェシカの周りにあった冷たい空気がふっと和らいだ。そして、おずおずと顔を上げると、小さな声でおじさんに聞いた。
「おじ様、怒ってた?」
「心配してる。仕事なんかほったらかしで大騒ぎしてたから、もうじきこっちに乗り込んでくるんじゃないか?」
それを聞いて、ジェシカはもっと小さな声でもう一言続けた。
「……デュークも?」
「当たり前だろ。どれだけ心配したと思ってるんだよ」
おじさんは、今度はゲンコツで軽くジェシカの頭を叩いた。
「ごめんなさい……ごめんなさぁい」
ジェシカは思いっきり泣きながら、おじさんにしがみつく。
「まったく。もう指をくわえてメシを待ってるって年齢でもないんだから、もっと自分の側にも目ぇ向けろ。バカ娘」
そう言いながらジェシカの頭を撫でてるおじさんは、まるでジェシカの本当のお父さんかお兄さんみたいだった。
おれの隣で、トールが唇を噛みながら二人のことを見つめている。
きっと、ジェシカも同じ気持ちだったんだろうな。
多分、おじさんはジェシカのことをお姫様として見てない、ジェシカにとって大切な人なんだ。だからその分、おじさんがトールの事をとても大切に想ってるのを知ってるから、ジェシカはトールに嫉妬してるなんて言ったんだ。
しばらくの間、ジェシカのすすり泣く声だけが部屋の中に響く。そして、おれは後ろに妙な違和感を感じて振り返った。
後ろに立っていたのは、どことなくおじさんと似た印象のある、五十歳くらいの人だった。おじさんと違うのは、髪の色と瞳の色。
おれたちと同じこげ茶色の髪と、誰とも違う青い瞳……。
おれがさっき会ったリムって子は、夏の空みたく濃くて、ぬけるような青だったけど、こっちの人は、春の空みたいにほんわかして、包みこまれそうな柔らかい青だ。
おじさんがその人に気がついて、手招きをする。その人はゆっくり近づいて行って、ジェシカの頭の上にそっと手を置いた。
「……おじ様」
ジェシカは振り返ると、その人にぎゅっとしがみついた。
「まったく、心配をかけて。困ったお嬢さんだ」
「ごめんなさぁい」
その人は、そんなジェシカの背中を優しく叩きながら、ほっと息を吐いておじさんに声をかけた。
「さすが、子育ての名人だ」
「その割には、こっちにつくのが早かったんじゃないの?」
おじさんが苦笑いで答える。
「なに、お前はいいんだが、何しろゴーシュが一緒だったろう。あれは仕事でなら信頼できるが、子供の事に関しては素人だ」
ゴーシュってのいうのは、さっきのおっさんのことだろうな。うん、あの人じゃ、おじさんみたいにはなれない気がする。
(ねえねえ、あの人がこの国の王様?)
(なんじゃないの。だって、ジェシカが「おじ様」って言ってたんだから)
後ろで、アニーとリディアがひそひそとそんな話をしてる。
あ、そうか……って、ええ!?
(あの人が王様なのか!?)
(だからそうなんじゃないのって言ってるでしょ?)
(私さあ、王様ってもっと年取ったこわーい顔の人だと思ってた)
それは、想像するのはアニーの勝手だ。
(そうじゃなくって、トール、お前の親父さんて王様と友達なのか!?)
あんなに仲良さげに話して、敬語なんてこれっぽっちも使ってない。ジェシカにあんな態度をとれたのも、そのせいか?
(知らない。おとうさんて、仕事の話って全然しないし)
トールはおれに話されて、初めて気がついたって感じに首を振った。
「ところで、そこの子供たちは?」
その、うわさの王様がおれたちのことが気になったのか、こっちに話を振ってきた。
「わたしの我が儘に付き合ってくれたの」
泣きやんでいたジェシカが、説明する。
「トール」
おじさんがトールのことを呼んだ。トールは、恐る恐るおじさんたちのほうに近づいていく。
「ほう、この子か……なるほど、デュランの面影が濃いな」
「だろ、だろ?」
おじさんは嬉しそうな顔をして、トールの腕をつかんで、王様に向かって手を振らせた。トールは目をまん丸にして、おじさんと王様を見比べてる。
ところで、
「おとうさん、デュランって?」
おれの疑問をトールが口にした。っていうか、たぶんアニーやリディアも誰だって思ってるだろうけど。
「トールのじいちゃんの事」
「ぼくの、おじいちゃん?」
「私にとっては、弟同然の男だな」
王様が懐かしそうな顔をして、トールの頭を撫でた。
んん? トールのじいちゃんって事は、おじさんのお父さんて事で、そんで、その人が王様の弟みたいなもん……? てぇと、おじさんは?
「あの……おとうさん?」
なんだかすっかり頭の中がこんがらがって、おれが首を傾げていると、トールも同じように首を傾げておじさんの腕を引っ張った。
「ん? ああ、そうか。この人はな、ライアス・ルートガルド・ハーマンって言って、この国の王様だ。それで、お父さんの伯父さんにもあたる人だな」
「……おとうさんの、伯父さん?」
「そうよ」
「それじゃ」
「ええぇぇっ!?」
トールの声をおれたち三人の悲鳴が掻き消した。
「そ、それじゃぁ、トールは王子様って事なの!?」
アニーが目をキラキラさせながら叫んだ。あー、こりゃ自分の世界に入ってる。
「違う違う。親戚は偉くても、おじさんは城勤めの一般市民。だから、トールは一般市民の息子」
おじさんがそんなアニーを見ながら、引きつった笑顔で答える。
「その事に関しては、私としては言いたいことが山のようにあるが……まあ、この国の王様業については、ただの職業の一つだと言うべきだな。代々親から子へと受け継ぐと決まっているものでもない。私も、もともとは小さな田舎町から飛び出した流れ者の剣士だ。何の因果か、今は玉座へと押し上げられているがね」
おじさんを軽くにらんだ後、王様はおれたちに笑いかけながらそう言った。
「じゃあ、誰でも王様になれるの?」
そう聞いたのはリディアだ。
「もちろん。もしかしたら次にこの国の王になるのは、君達の中の誰かかも知れないな」
そう言って、王様はおれたちの頭に軽く手をのせた。その時、廊下がにぎやかになってきた。
「あ、いたー!! 父さん、母さん、アニーがいたわよ!」
「お、お姉ちゃんだ!!」
アニーが慌てて、窓辺の大きなカーテンの中に隠れる。
「それでは、そろそろ我々はおいとまするかな」
「ああ、俺も後でそっちに行くわ」
「そうしてくれ。ほら、ジェシカ」
「うん……グッチ、みんな、本当にどうもありがとう。みんなに会えて、とても楽しかったわ。今度、遊びに来てね」
そのままジェシカたちは部屋から出て行った。
お城かぁ……いっつも外から見るだけだもんな。中って一体どうなってるんだろう? なんか、面白い探検がいっぱい出来そうだよな。